第四代館長:久保孝志
柳生神影流第十二世
剣道六段錬士
久武館道場第四代館長 久保孝志
(昭和22年4月16日~昭和53年1月12日)
久武館道場第三代館長 久保勇 の長男として徳島県名西郡石井町浦庄国実にて生まれる。
幼き日より父から剣道を教わり、その傍ら代々の流派である柳生神影流も習得する。
徳島県警機動隊に属し、県下一の腕前を持つと評され徳島県代表として数々の大会に出場する。
わずか30歳で剣道六段を取得し、益々の活躍を期待されていたが31歳の若さで殉職。
第四代館長 久保孝志の徳島県代表出場記録
第20回(昭和47年) | 全日本剣道選手権 |
第21回(昭和48年) | 全日本剣道選手権 |
第23回(昭和50年) | 全日本剣道選手権 |
第20回(昭和40年) | 国民体育大会 | 20才未満 | 杵築市 | 杵築高校体育館 |
第27回(昭和47年) | 国民体育大会 | 31才未満 | 鹿児島市 | 鹿児島高校体育館 |
第28回(昭和48年) | 国民体育大会 | 32才未満 | 館山市 | 館山市民センター |
第29回(昭和49年) | 国民体育大会 | 33才未満 | 下館市 | 下館中学校体育館 |
第25回(昭和48年5月27日) | 四国剣道大会 | 香川県立武道館 |
第29回(昭和52年5月29日) | 四国剣道大会 | 香川県立武道館 |
久武館道場第四代館長 久保孝志が31歳の若さで殉職した後は、久武館道場第三代館長 久保勇が指導を継続し、後に高齢のために教え子である瀬部安美、佐藤修一両先生にお任せするようになります。

何故、両先生にお願いしたと申しますと、当館歴代館長の教えである剣道の勝ち負けだけに目を向けず剣を通じて、長い人生の中で生きていける人格や考えを育成する事に主をおいた教育をして頂けると感じた次第です。
私も両先生には教えて頂きましたが、常に基本が大事を合い言葉に自然な癖のない剣裁きを指導されました。
「小学生で剣道が強くても癖があれば将来伸びない」これが口癖でした。
私も両先生のお陰で、高浦中学時代には徳島の県大会で優勝し、四国大会続いて全国大会に出場し、県優秀氏選手に選ばれたのも両先生のご指導の賜と思っております。
昭和60年頃の第三代館長 久保勇と門下生


※この頃まで第三代館長 久保勇が直接指導を行っておりました。
昭和63年頃の門下生及び練習風景




※この頃からは瀬部安美、佐藤修一両先生が中心になり指導を行うようになります。
平成7年頃の門下生と獲得表彰状






現在では、少子化で剣道をする子供たちも少なくなって来ましたが、かつて学ばれた子孫の方が、今でも剣道や久武館道場の流派である柳生神影流を学んでおられます。
最近では、古武道を見直そうという動きが盛んになり徳島県内だけではなく徳島県外からも問い合わせや見学にこられる方がおられます。
開設当時と変わらない佇まいの徳島の久武館道場をご覧になり感銘を受ける方も数多くおられます。
先日は、香取神道流を学んでいる東京在住のドイツ人 ミヒャエル・ラインハートさんが来られました。
香取神道流 ミヒャエル・ラインハートさんと奥様


ミヒャエル・ラインハートさんは全国の古武道場の研究をされているそうですが、私共の柳生神影流 久武館道場の造りが、以前訪れた柳生系の道場と造りが非常に似ている事に大いに関心を持たれていました。
※ミヒャエル・ラインハートさんは、私共の柳生神影流 久武館道場の造りが、以前訪れた柳生系の道場と非常に似ている点、外国人の自分から見てもの建物に神聖さがある点を指摘され、その神聖さはどこから来るのか非常に興味深く見学されていました。
この久武館道場の神棚の御神体は御札ではなく御霊石であり、大分県の宇佐神宮より勧請した八幡大神を祭っていると伝えられています。
先代からは道場の建物自体が神社の神殿と同じ意味を持っているので、建物を長らえるように補修し壊してはいけないと申し伝えられております。
すなわち剣道をしている場所が神楽舞や太鼓を叩く拝殿、一段上の先生が座る場所が弊殿、そして神棚は奥の階段を上がった神様が鎮座する本殿と同じ意味を持っています。
近所の高齢者の話では、子供の頃に神聖な場所と教えられ、簡単に道場の中に入れてくれなかった話をされていましたので、先代からの申し伝えも意味があると感じております。
現在の柳生神影流 久武館道場


この柳生神影流 久武館道場には、明治38年の創設以来代々受け継がれている伝統があります。
それは当家に伝わる柳生神影流の形だけではなく、どのようにして剣を人格形成に役立てるか、心を育てるにはどのように指導するかなど細部に伝えられています。
戦後、武道が冷遇され多くの道場が閉鎖された時代でもこの久武館道場に人が途切れることはありませんでした。
その後も幾度か苦難の時代を経験することがありましたが、その都度温かく手をさしのべてくれる方々の御陰で現在まで続いています。
それは「歴代館長の教え」すなわち柳生神影流の特徴である「水が流れるがごとく無駄のない剣術」を守り続け、あえて剣道の勝ち負けだけに目を向けず、剣を通じて長い人生の中で生きていける心や人格を育成することが、この徳島の久武館道場で学ばれ巣立って行かれた方々や地域の人々に愛された結果なのかもしれません。