徳島の古流剣術道場、剣道場│久武館(きゅうぶかん)道場 柳生神影流

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御挨拶

久武館内部

「古武道」と聞いて皆さんどのようなイメージを持たれるでしょうか。ほとんどの方が漠然とした印象で今の武道とは少し違うと感じられている方がほとんどだと思います。古武道とは明治維新以前に成立した武術の事で、明治以降に統一化が進み武道となり、現在のスポーツ武道である剣道、柔道、弓道へと姿を変えています。

戦前には徳島をはじめ全国の各地の武道場で様々な武道流派の伝承がされていました。例えば徳島では徳島藩御流儀である貫心流をはじめ心形刀流など多くの流派が栄えていました。しかしながら敗戦後GHQより武道が禁止され、解禁する条件として戦前に行われていた武道ではなく、スポーツ競技として再開を認められたため、今の剣道などは西洋のフェンシングを参考にして競技化されたスポーツ武道として現在に至っています。

このような歴史的背景から戦前行われていた武道流派は「無用の長物」として認識され、人々の記憶から徐々に忘れ去られていきました。戦後は戦前行われていた武道は後継者を見つけ伝承する方法で継承を行ってきましたが、その価値について理解されにくい、後継者を見つけることが出来ないなど、日本の武道文化として価値のある流派でさえ後継者が育成できず消滅していきました。徳島藩御流儀であった貫心流ですら徳島では継承者もおらず失伝しています。

久武館外観

令和の世で、徳島で現在まで継承されているのは。私共の久武館道場で指南している、安土桃山時代に徳島に伝承された柳生新陰流である「阿州柳生神影流」のみとなっています。最近ではこの「古武道」が地方独自の文化として再認識され価値を見直されてきています。

阿州柳生神影流 久武館道場は、明治38年に徳島で明治の剣聖と謳われた初代館長 久保源次郎利雄が設立した四国一の歴史を誇る剣術道場です。「久武館」という名称も、戦前の武道を統括していた大日本武徳会に届け出し承認された名称であり、この久武館で修行し技術が到達すれば柳生神影流免許巻も発行しておりました。
時代と共に、このことが風化されつつありますが、地元徳島の方々や多くの古武道関係者の御要望により、設立当時のままの姿を残しながら道場を改修し、私共の剣術道場である久武館の歴史を残すためにHPを開設させて頂きました。

また今回の開設に伴いご協力して頂きました和道流空手道連盟会長 二代宗家 大塚博紀先生をはじめ英信流居合術十八代目 子爵 教士 山内豊健先生のご子息である山内豊臣様、英信流居合術 京都山内派 二十代目 山越正樹先生、無双直伝英信流山内派碧水舎館長 石山政義先生、肥後 新陰流兵法 東京稽古会の伊藤将巳様にはこの場を借りてお礼申し上げます。

徳島の剣術である柳生神影流を学びたい方や古武道を研究されている方はお気軽にご連絡下さい。

戸村

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柳生神影流第九世
剣道範士(大日本武徳会)
久武館道場初代館長

久保源次郎利雄
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