先日、トピックにUPした徳島県美馬市木屋平にある川上神社に関する資料が旧木屋平村史に書かれていたので記載しておきます。
川上神社はもと随林山清水寺と称し、創建は永享8年(1436)という。
神仏混交の寺で、以下は主な棟札の銘文からみた川上神社の変遷である。
元亀二年(1571) 妙見大菩薩
↓
天正十八年(1590) 妙見大菩薩
↓
元和二年(1616) 隋林山清水寺
↓
寛永十八年(1641) 妙見大菩薩
↓
延宝三年(1675) 東に隣接して清水寺本堂を建立し、神社と寺を分離して神社を妙見宮と呼ぶ
↓
明治三年(1870) 川上神社と改称
神社は川上中央部の妙見の国道脇にあり、祭日は10月28日、氏子は約80戸
妙見堂はもと清水寺と称し神仏を混祀していたが、延宝三年(1675)に妙見神社と分離して清水寺本堂を建て、以後妙見堂と呼ばれるようになった。清水寺の名の起こりは寺の東側に清水がこんこんとわく泉があったと伝えられている。
本尊は阿弥陀如来で、他に薬師如来像・地蔵菩薩像・毘沙門天像・青面金剛童子像・弘法大師像などが安置され、近年には日々宇堂の仏像など地域内の廃堂の仏像も合祀されている。
境内には板碑一基と正徳4年(1714)銘の庚申塔がある。石仏堂跡は妙見堂から南へ200mにあって、板碑一基と寛永4年(1851)の供養碑がある。室町時代に石仏を祀った堂があったのだろう。
妙見〈古くから川上の中心地〉
妙見の森付近は一帯は平坦地で川にも近く、昔から川上の中心地だった。
木屋平村が剱山の表参道だった昭和20年代までは川上神社の境内は深い森に包まれ、剱会の期間中に休息地となって出店がありにぎわった。
戦後は商店も3軒あって川上までのバスが乗り入れられると終点のバス停となり、昭和25年は19戸あった。平成6年現在は森林組合小径木処理場・地域の集会所・消防団の動力ポンプ格納庫があり、6世帯15人が住んでいる。
戦前は、久武館道場が行っている武道神事(浦安の舞・剱の舞・神楽舞)は剱会の期間中にはこの川上神社に演舞させて頂き、各流派の武人たちもそれぞれの神事の舞を披露し、それぞれが楽しみ酒を酌み交わし楽しいイベントだったそうです。
女性は剱山に登れなかったためにこの川上神社から剱会が終了すると下山し、男性はさらにコリトリで禊ぎをして剱山に登り、剱山頂上で武道神事を奉納したり修行したりしていました。
祖父の言っていた言葉を思い出しながら、探索しましたが非常に充実した時間でした。
ただ戦前にこの川上神社でおこなわれていた「剱会」でさえ知っている方も少なくなりまして剱山が武道信仰の本山であることも忘れ去られている昨今では、戦前の武道は遠い昔に
なりつつあります。
またこの川上神社でいつか「剱会」が出来ますように。