先日、トピックにUPした徳島県美馬市木屋平にあった修験道場の続きです。
祖父である三代館長 久保勇の話では、先日訪れた龍光寺のさらに奥に神社が有りその敷地内で久武館道場の姉妹道場があったそうです。
先日は時間の関係で引き返しましたが、龍光寺を過ぎてさらに奥に進んでいきます。
道路沿いにそれらしき神社が見えてきました。
バス停には、妙見神社と書かれていますが、神社の鳥居には「川上神社」と書かれています。
そこの部分は少し疑問に思いましたが、昭和51年の台風による土石流で壊滅的な打撃を受けたことを考えると近くの神社を合祀して神社名を変更したのかもしれません。
おそるおそる探索すると、由緒のありそうな立派な神社でした。
祖父の話 では、神社の瓦や紋章に剱があると聞いていたので探します。
本殿の瓦は吹き替えられて変わっていましたが、傍らの摂社にはきちんと「剱」のマークが有り間違いなさそうです。
初代館長 久保利雄が神社前の剣山より流れる清流で禊ぎをして、剱山に登り剣術修行や武道上達を祈願した話と合いました。
ただ剱山が修験の山、武道信仰の本山であるという側面も薄れていく昨今、この街道がかつて多くの方が行き来したこと、数多くの宿場があったことなど知る方も少なくなり遠い昔話になりつつあります。